ミトルヒト
長田伯博
地元鹿児島県にて「鹿児島緩和ケア・ネットワーク」を立上げ、医師・看護師と共に終末期患者やその家族のケアに取り組んでいる著者が、その二十年余りにわたる活動を振り返り、苦闘してきた体験が綴られる。
終末期の迎えた患者やその家族の精神的・肉体的な疲弊は、健康な人間にはなかなか伺い知ることは難しいが、仏教による心のケアの必要性をビハーラとの出会いで実感した著者は、終末期の患者やその家族に真摯な姿勢で寄り添い、患者さんやご家族だけでなく自分自身の心の安らぎをも見出していく。
これらの経験が医療関係者にも共感を呼び、仏教・医療の両側面からの活動が展開された過程には感動を覚える。
著者が掲げる「ベッドサイドに仏教がある風景」がどこの医療機関にもある当たり前の光景となり、老病死の苦しみを苦しみだけでは終わらせない状態が常に訪れることを願わずにはいられない。
親鸞聖人の妻 恵信尼公の生涯
大谷嬉子
はじめて公然と肉食妻帯に踏み切った僧侶である親鸞聖人。しかしながら、親鸞聖人の内室(妻)が誰であったかは、長い間あまり知られておらず、恵信尼公が実在する唯一の内室であるということが証明されたのは、大正時代になってからでした。本書では、大谷嬉子前裏方さまが、尼公の数少ない証拠である手紙10通(恵信尼文書)を手がかりにして、恵信尼公の足跡をたどっていきます。越後で生まれ、流罪になって国府に来た親鸞聖人と結婚し、関東、京都、単身越後へと移り住み、田畑の耕作を指図しながら、孫たちの世話に明け暮れ、その一生を終えたという恵信尼公像からは、したたかにしなやかに生きる姿を想像することができます。彼女と親鸞聖人が生きた遠い昔に思いを馳せながら、旅行記としても楽しめる一冊です。
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