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心がホッとするヒント、 あります。【築地本願寺新報5月号より】

不穏なニュースが多い世の中だからこそ、心やすらかに気持ちを落ち着ける時間が必要です。そこで、築地本願寺GINZAサロンの人気講師の方々や現役僧侶が語る、ホッとできるヒントを紹介していきます。まずは、コーチングや心理学の専門家でストレス管理に造詣が深い大江亞紀香先生に、不安と向き合う方法を教えてもらいました。

  • すぐに心が軽くなる6つのヒント

    ■ヒント1 自分の不安に気付こう■

    「落ち着かない」という気持ちに流されてしまうと、いつまでも不安から抜け出すことはできません。そこで大切なのが、一度客観的に「いま自分は不安を感じている」と認めること。感情とは、呼吸のように出たり入ったりする流動的なもの。一度「自分は不安だ」と認めると、不安が心から離れていきます。

    ■ヒント2 ニュースは必要最低限に■

    長い歴史の中、人類は危険を早く察知することで生き延びてきました。そのため、心理学的にも人は喜びよりも恐れに敏感で、良いニュースより、悪いニュースの方が心に残りやすいです。否定的なものばかりに触れると気持ちが暗くなるため、「ニュースを見るのは1 時間だけ」など、ルールを決めておきましょう。

    ■ヒント3 姿勢は正しく!■

    落ち込んでいるときは、姿勢をピンと正して、目線を上に持ってくると、脳から前向きな伝達物質が出て、気持ちが明るくなります。できれば、1時間に1回など時間を決めて、ピンと姿勢を正すのがおすすめ。忘れがちな方は、1時間に1回タイマーを鳴らし、そのタイミングで背筋を伸ばすようにしてください。

    ■ヒント4 笑顔を作ろう■

    仮に楽しいことがなくても、顔の筋肉を思いっきり動かして笑顔を作ってみましょう。すると、脳が「喜んでいる」と錯覚して、脳内に前向きな感情を伝える伝達物質が放出するため、自然と気持ちも明るくなります。できるだけ、「イーッ」っと口の両端を耳に近づけるようにするのが、おすすめです。

    ■ヒント5 手を上げて、ジャンプ!■

    両手を上にあげた万歳のポーズで、ピョンピョンとジャンプしてみましょう。すると横隔膜が動き、大笑いをしているときと同じ動きになります。これによって脳が「大笑いしている」と錯覚して、前向きな気持ちになるほか、血流が良くなり、健康増進にもなります。

    ■ヒント6 速足で20分以上歩こう■

    京都大学森谷教授の研究によれば、週に3回以上速足で20分程度のウォーキングをすると、うつ病の発症率が30% も低く、精神健康度も40% も高かったという結果が出ています。また、体を動かすと、脳に前向きな伝達物質が分泌される上、代謝も上がります。外出を控えがちな時節で運動量も減りがちだからこそ、室内や人気のない場所を早歩きするのはおすすめです。






  • 「やすらぎ」と「ときめき」の香

     古来より日本人の心にやすらぎを与えてきた存在といえば、「お香」です。「香の伝道師」と呼ばれ、日本有数の香の専門家である稲坂良比呂氏が、日本人とお香の関係性や身近なお香の楽しみ方について、ひも解いていきます。

     

     

    ■香は仏と現世をつなぐもの■

     香は、人の心に「やすらぎ」と「ときめき」をもたらします。一五〇〇年の昔、仏の教えと共に日本へ伝えられた香は、古代史的には祈りと供えの香であり、くゆらされ立ち上る一筋の香こうえんは、仏と現世の私たちを結ぶものでした。その香煙と香気に人々は、日々の平穏と豊穣と国の安泰を願い、心のやすらぎを得てきました。
    香となる材は、自然界の奇跡のような偶然から至高の芳香物質となった「沈香(じんう)」木(その最高のごく希少が「伽羅(きゃら)」と呼ばれます)を中核として皮(けいひ)、丁子(ちょうじ)、甘松(かんしょう)等の漢方生薬。いずれの材も、清浄・鎮静・心身賦ふかつなどの効能があり、物性においても機能を持ちますが、古代の人々は精神域でそれをとらえ、実感し、文化として育みました。

    ■なぜ、香は「聞く」というのか■

     日本では昔から「香を聞く」と言います。「匂い香りだから『嗅ぐ』のではないか?」と思われるかもしれませんが、それは嗅覚器官を通して脳へと伝達する物性表現です。香を聞く「聞香(もんう)」は、心性といえます。仏教と共に日本へ伝えられた貴重な香木は、日本には産出せず、長い年月と遥かな旅路を経て、届けられたものです。
    香木の香りに向き合い、「この香りは私の心に何かを伝えている。香りが伝えるものを聞きとろう」としました。聞香は香道の原点となります。
    西欧の香文化は物性領域で発展し、アロマテラピー(香り療法)や香水となります。その材となる精油(エッセンシャルオイル)の香りは、「具象」です。ローズオイルの香りは、誰もがバラであると言います。それに対して香木の香りは「抽象」です。
    ですから、心がどう感じたかでその香りは人によって異なる情景や言葉となります。抽象情報を自分の心で具象化するという感性、美質を日本人は昔から持っていたのかもしれません。ひとつの香りからも、自分のいる場の環境や気分を変え、心安らぎ広げる時を得てきました。

    ■最も身近なお香は「お線香」■

     昨今の憂き世情であればこそ、香が、心や日々の暮らしに力を与えてくれます。不安やいらだつことあれば、香一本、一粒の香りが心静かなひと時へ。逆に憂い沈んでいる時は、その気分を変え、明るさへ心が向くきっかけになることでしょう。
    「気持ちを明るくするにはどのような香がよいのか」とよく問われますが、「あなたが好きだなと思う香りに出会い、それを選ぶ」ことをおすすめします。自分の心が好み、受け入れる香りが、その人にとっての価値で、十人十色百人百様です。
    一番身近にあるやすらぎのお香とは、多分ご自宅にもあるお仏壇のお線香です。お線香とは、仏様に供えるものではあるけれども、その香りは私たちの心にやすらぎを与えてくれます。お香もお線香も、基本的に原料は同じもの。お線香は、香木と漢方生薬の組み合わせでできているため、香気を体に取り入れることで鎮静状態に導き、やすらぎを得ることができます。さらに「香りを楽しむ」ことと願いの気持ちが一体化することで、より一層、心静かなひと時が訪れるはずです。






  • 不安なときこそ知っておきたい心に効くツボ

    鍼のツボをタッピングするストレスケア「TFT」(思考場療法)。副作用もなく、自分でできるため、世界各地の被災地などでも活用されています。TFTセンタージャパン代表の森川綾女先生に、不安を感じたときにすぐにできるツボを伺いました。







  • 非常が日常を照らす

    すべての出来事には良い面と悪い面があるもの。新型コロナウイルスで暗くなる世の中だからこそ、新たに可視化された出来事はなんだったのか。松本智量編集委員が考察します。

    万事につきて、善き事を思ひつくるは御恩なり。悪しき事だに思ひ捨てたるは御恩なり。捨つるも取るもいづれもいづれも御恩なりと云云。(『蓮如上人御一代記聞書』より)

    新型コロナウイルスの影響により、小中学校の休校が続いています。2月に突然の休校要請があった2日後、たまたま私は知り合いの、八王子市立某小学校教職員と顔を合わせる機会がありました。大変だったでしょう、と話題を向けると、「いやもう冗談じゃない。お上の言うことに従うのが自分らの立場だから仕方ないけれど」と心底疲れた顔で言ったあと、笑いながらこう付け足しました。
    「でも悪いことばかりじゃないんだ。今回の要請のおかげで、どうでもいい書類の提出や不要な会議がだいぶなくなったんでね」
    教職員が極めて多忙であることはよく知られるようになりました。その中でも時間をとられるのが膨大な書類の作成を代表とする事務作業。それを少しでも軽減して、子どもたちと向き合う時間を取りたいとの願いが現場にあることは前々から言われながらもなかなか改善が見られなかったのが、今回はすっぱりと認められたというのです。もちろん、休校により子どもたちとの時間も失ったのですが。

    ■怪我の功名■

    新型コロナウイルスの影響はまだ先が見えません。気分もつい沈みがちですが、何事も、すべてがマイナスということはありません。新型コロナ関連でプラスになったことも無理やりにでも探してみましょう。
    先ほど紹介した、無駄な書類作成提出が省略されたことは明らかにプラスでしょう。「不要不急の用事は謹むように」と言われて、さて、いつも考えもなく惰性でこなしていた作業が、必要か、急を要するのか、あらためて振り返るいい機会です。必要だが不急、というものは当然あるでしょう。急ぎだけれど不要なものはあるのかな。
    そして、明らかに良い傾向を示しているのがインフルエンザ罹患率です。今シーズンの患者数は例年に比べてはっきりと少数です。これは今年が暖冬だったからという見方もありますが、暖かかった昨年末には例年並の患者数だったのが、新型コロナが騒がれると時期を同じくして数を減らしていったのです。これは、新型コロナウイルスが、インフルエンザウイルスを駆逐したことを示し
    ています。ということではなくて、新型コロナ対策として広く推奨されている手洗い習慣が、インフルエンザ予防にも有効だったと見るのが妥当でしょう。新型コロナは期せずして、インフルエンザ対策の社会実験を全国レベルで実施することに寄与したことになります。

    ■環境が一気に変わった■

    そして新型コロナにより、職場ではリモートワークが進みました。学校ではオンライン授業が実現しました。エンターテイメントの分野では、配信される量も種類も格段に増えました。これらは苦肉の策からではありますが、実施してみればこの方が実用的な部分もあったと知らされています。ネット環境の有無が新たな格差を生んでいる問題もありながら、ネット活用は日常的に社会に定着することでしょう。
    その状況を乙武洋匡氏は少し皮肉まじりに嘆息します。 「自分事になったらこんなにスピーディーに変わってしまうんだな」
    車椅子使用や視覚障害のある人は、毎日の満員電車の通勤は至難でした。仕事場に行けないという理由が、職を遠ざけていたのです。リモートワークの拡張を望みながらその声が届く事はありませんでした。
    病気で長期入院していたり、不登校状態にある子どもは、教室で授業を受けることはできません。オンライン授業を望みながらその声が届く事はありませんでした。
    障害がある人は、バリアフリー設備のない会場で音楽や芝居を楽しむことは至難でした。オンライン配信の充実を望みながらその声が届く事はありませんでした。
    それが一気に変わったのです。「あれだけ熱望したのに、あれだけ声を上げていたのに、ちっとも耳を傾けてもらえなかった。ところが、いざ多数派の『自分たち』が同じような困難に直面したら、これだけダイナミックに世の中は変わっていくんだ
    な」という乙武氏の実感をどう聞きますか。

    ■どんな日常を選びますか■

    「あれだけ声を上げていたのに」と言われても、耳にした記憶はあるでしょうか。記憶はあっても、その切実さをどれだけ想像できていたでしょうか。
    新型コロナ渦はいずれ収束し、多くの人たちは「日常」に戻っていくでしょう。そうなったらたちまち、満員電車に乗れない人たち、教室に通えない人たち、娯楽会場に入れない人たちの「日常」からの声に耳を閉ざしてしまうようになるのでしょうか。いやいや。
    誰しも、非常時はあってほしくありません。非常は必然的に日常を揺さぶります。それは不快です。しかし、非常はしばしば「問い」にもなります。気づきにもなります。その一方で、その問いや気づきから逃げようとする自分がいます。そんな私に、仏さまは「南无阿弥陀仏」というお念仏となって、問いや気づきを共に担ってくださいます。






  • 歴史から読み解く、災害と怨霊

    歴史を遡(さかのぼ)れば、昔から日本人は数々の飢饉(ききん)や疫病(えきびょう)をはじめとする災害と向き合ってきました。日本中世史研究者の生駒哲郎氏に、日本人と災害の関わりについて、ご寄稿いただきました。

    ■昔の日本では、疫病は「怨霊(おんりょう)のしわざ」だった■

    現在、新型コロナウイルスによる感染症で、世界は大混乱である。早く終息してほしいと願うが、なかなか先が見えない混こん沌とんとした状況が続いている。
    災害という視点で日本の中世を見ると、旱魃(かんばつ)などにより飢饉が発生すると、餓死する者が多数出て、疫病が都市に蔓延するという状況になってしまう。こうした災害に対し、中世人は目に見えない恐怖から、それを怨霊の仕業と考えていた。
    怨霊は、この世で亡くなった後、この世に強い未練や執念などによって、次の世界に進めない霊魂である。往生することもなく、他の六道の世界に輪廻転生(りんねてんしょう)することもない。中世人にとっては非常に厄介な存在であった。
    さしたる理由もなく殺害されてしまった場合、残った遺族は、犯人に敵討(かたきうち)をした。殺害された者の無念を晴らさなければ、その者が次の世界に進めないからである。したがってこの敵討ちは正当性のある行為として社会に受け入れられていた。理不尽に殺害された者の霊魂がいつまでも留まって怨霊化すると、次なる災いに人々が襲われることになるからである。
    とはいえ、殺害された者に敵討ちをしてくれる遺族がいなかった場合、殺害された者が犯人に対し敵討ちをすることになる。つまり、怨霊が行うのである。しかし、怨霊は人には見えない(史料に悪霊(あくりょう)と記される場合もある)。怨霊による敵討ちは、犯人が原因不明の尋常ならざる病に罹(かか)ったと映(うつ)り、のたうち回り、苦しみながらこの世を去ることになる。人の手によるか、怨霊によるかは別にして、犯人の死に対して、人々はそれを「現報(げんほう)」と考えた。
    現報によってこの世を去った者の来世は地獄行きと決まっていた。現報とは、次の世で受ける苦しみをこの世ですぐに受ける報いだったからである。また、怨霊はその家に何代も祟(たた)るといわれ、実は人による敵討ちの方がよいと当時は思われていた。
    現報は、ある意味わかりやすいが、疫病などが流行して、たいした罪を犯したとは思われない者が死にいたる場合が当然ある。平安時代後期の『今昔物語集』(巻第十七第十八話)には、阿清(あしょう)という僧は熱心な修行者であったが、疫病で亡くなってしまったことが記されている。こうした死は、当時、「後報(ごほう)」と考えられた。
    後報とは、比較的罪が軽く、何代か輪廻転生を繰り返した後に訪れる報いである。そうはいっても、阿清はこの世に誕生してから真摯に生きてきたと語られている。人間界も六道の一つの世界に過ぎないのであるから、迷いの世界の住人である以上、人々は必ず業を背負っており、後報を受ける可能性があるということになる。ただし、後報を受けた者に対し、仏菩薩は必ず手を差し伸べている。

    ■天災を静めるために「禁酒令」を出した足利義持■

    都市などでの、飢饉・疫病の流行や、その他の天災などは、怨霊の仕業などと考えられたが、為政者が世の中をしっかりと治めていないからこういうことが起ったとする場合があった。為政者はそうした際「徳政(とくせい)」として、さまざまな政策を打ち出した。
    第四代室町幕府将軍足利義持(よしもち)は、応永の大飢饉に対して、応永26年(1419)10月、翌年2月、5月、7月と禁酒令を出した。酒に使う米の確保という意味があったかどうかはわからないが、効果はあまりなかった。
    天皇の朝廷でも対策をこうじていた。京都の五条天(ごじょうてん)神社の天神さまに対して流罪という宣下(せんげ)をくだした。なんと、神様が流罪になってしまったのである。五条天神は、疫病に対して効験ある神様として知られていた。つまり、五条天神にありったけの「厄」を付けて京都の都(みやこ)の外に追い出してしまおうという発想である。いわゆる厄払いであるが、効果のほどはよくわからない。
    ただ、為政者は試行錯誤をして、さまざまな政策を行なう。無策だと飢饉などが治まっても、その後、世の中が乱れるからである。中世に科学や医療などは当然進んでおらず、政策はほぼ空回りする場合が多い。しかし、為政者が災害にどう向き合ったか。人々が重視するのは中世ではおそらくこの点である。






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